成長をやめいない男、岡崎慎司


雪が深々と降るなか、ソチ五輪を見ながら考えた。

スポーツの頂点を極めることは大変だなと。

そして、こうしたトップの一握りの選手たちというのが、どれだけ大変な思いをしてきたのか。

だから、今回は僕が取材をしてきたなかで印象的だった選手について書きたい。

それは、オカちゃんこと岡崎慎司選手、元清水エスパルスのFWだ。

 

まずはこれまでの成績一覧を。

 

■日本での成績

清水エスパルス

リーグ戦                ナビスコ杯            天皇杯                  合計

2005   1試合0得点        1試合0得点        3試合0得点        5試合0得点

2006   7試合0得点        2試合0得点        3試合0得点        12試合0得点

2007   21試合5得点      2試合0得点        2試合0得点        25試合5得点

2008   27試合10得点    5試合0得点        2試合1得点        34試合11得点

2009   34試合14得点    4試合1得点        3試合2得点        41試合17得点

2010   31試合13得点    2試合1得点        4試合2得点        37試合16得点

 

■ドイツ・ブンデスリーグでの成績

シュトゥットガルト

2010-11シーズン  12試合2得点     

2011-12シーズン  26 試合7得点    

2012-13シーズン  25 試合1得点    

マインツ

2013-14シーズン  18 試合9得点     ←いまここ

 

■日本代表での成績

2008   4試合0得点

2009   16 試合15得点

2010   15 試合3得点

2011   14 試合8得点

2012   9 試合3得点

2013   14 試合7得点

合計       72試合36得点

 

 

ちなみに、日本代表のエースストライカーと言えば、歴代最強FWとしては釜本邦茂さん、ドーハの悲劇を経験した三浦知良、中山雅史の2トップが記憶にあたらしい。

 

釜本邦茂76試合75得点(14年間)

(国際Aマッチに数えない国際試合では157 試合79得点、通算すると233試合154得点)

三浦知良89 試合55得点(11年間)

中山雅史53 試合21得点(14年間)

 

現日本代表で同世代のWエースといえば、この2人。

本田圭佑53試合21得点(6年)

香川真司53 試合16得点(6年)

 

 

現在、日本代表としての通算成績は72試合36得点。約2試合に1得点という驚異的な数字を残している。今シーズンもドイツのリーグで2桁得点に迫る勢いでゴールを量産している。

この成績だけをみても、日本のエースストライカーであることに誰も異論はないだろう。

 

しかし、僕が取材を始めた2006年ごろはほぼ無名に近い選手だった。

 

高校は名門の滝川二で1年生から活躍し、高校選手権にも出場。

だがプロ入団の2005年は同期に即戦力の大卒選手も多く、当時、清水エスパルスの指揮官である長谷川健太監督(現G大阪監督)は、「SBへのコンバートも考えた」、「FWでは8番手で、本当にどうしようかと思った」(2005年のFW登録は6人で北島秀朗、久保山由清、チェ・テウク、マルキーニョス、チョジェジン、岡崎だったが、攻撃的な選手、澤登正朗、平松康平らを含めると8番手になる)というエピソードがあるほどで、チーム内での評価は厳しいものだった。しかし、そんな彼が今ではドイツのリーグで2桁ゴールに迫ろうという大活躍をしている。

 

当時はまさかこのような活躍をするとは思ってもいなかった。いや、想像できなかったというのが正解かもしれない。しかし、取材を続けていくたびに、オカちゃんの活躍は必然的なものだったこと、そして、今その理由を考えると成る程と妙に納得できる選手だったのだ。

そういう意味では本当に不思議な体験、取材をさせて貰った選手だ。

 

当初のイメージは、チームメイトから常にイジられるタイプで、明るくて面白いキャラクター。取材時には常に笑顔が耐えない。そんな感じの印象がある。



□転機は2007年の初ゴール@川崎F

 

少しずつ変化がでてきたのは2007年ころ。当時はFWではなく中盤での起用が多かった。しかし、それでもクロスボールに頭から飛び込む大胆なプレーで指揮官の信頼を得ていった。

 

実はこのシーズン、長谷川監督は中盤のシステムを決めかねていた。ダブルボランチからダイヤモンド型への変更を試したがトップ下の選手に決め手が無かった。しかも、この川崎F戦の前にはトップ下を務めていた枝村が怪我で離脱してしまい、代役的としての先発出場が決まったのだ。

すると、この試合で岡崎は見事に先制ゴールを決めてみせる。結果的に試合は逆転負けをしてしまうが、監督から「これが最後のチャンスだぞ」と何度も言われていたというような話も聞いていただけに、このゴールはいいアピールになった。

しかし、この後は枝村が復帰し、更に実績のあるフェルナンジーニョと矢島、西澤が起用されるようになり岡崎は先発を勝ち取るまでには至らなかった。

 

それでも、オカちゃんは黙々と練習を続けた。

ガムシャラに、上手くなるために、ゴールを取るために。

 

そんな岡崎の側に立って常にサポートしたキーパーソンが2人居る。

それが、現大分監督の田坂和昭コーチと、現法政大学教授の杉本龍勇フィジカルコーチだ。

 

岡崎はオフになると、足を早くするために大学の陸上部に混じって練習を重ねたのだった。杉本コーチの練習というか、指導する走り方は一見すると不思議な印象を受ける。その後も、永井雄一郎が指導されているときに見る機会を得たが、サッカー選手っぽくない走り方を徹底的に反復練習する。しかし、その理由をよくよく聞いてみると、走るイメージを大事にしていることが分かった。

サッカー選手はサッカーをするために走るので、走るというイメージがない。陸上選手のように走りから入った選手は居ない。そのためボールを追うときや、パスを受けるために走る姿勢やバランスのことを意識している選手はまず居ないという。そこで、走るイメージを先に脳にインプットして、体に染み込ませ覚えさせる。そうすることでプレーしている中でも体が自然とスムーズに動作するようにする。

と、いうような内容だったと思う。

 

まあ、いずれにしても根気よく丁寧に、長い時間をかけて岡崎は杉本塾に通い、体に走り方を染み込ませた。この結果、今ドイツでも高く評価される走りを身につけた。

持続性は勿論だが、瞬間的な速さ、そしてスピードを維持する走り方を身につけたからこそ、多少調子の落ちているときでもベースとなる走力で勝負できるようになったとも言える。

 

そして、岡崎のサッカー人たるベースを作ったのが田坂和昭コーチ。

「基本的な動きを知らない」と一蹴した田坂コーチは、サテライトリーグや練習試合で岡崎を本来のポジションであるFWではなく、右SBやボランチなど様々なポジションで岡崎を起用した。

 

理由は単純だった。

これまでやったことがないポジションでプレーすることで、FWに何が必要なのかを教えていたのだ。例えばSBでプレーするときは、FWはどのタイミングでパス貰いたいのか。またSBはどのタイミングでクロスを入れたいのか。そして、FWSBを使うときのプレーだ。パスの受け方、出し方、オーバーラップのためのスクリーンのやり方など、そうしたことを試合の中で体験させた。

ボランチでの起用も同様だ。岡崎はDFラインの裏への動き出しに優れるFWだが、そうした動き出しの質を上げることができたのも、ボランチ(中盤)の選手としてプレーした経験が活きている。MFがパスを出すタイミングを知ることで、FWとしての受ける場所、動き出しや、動き直すタイミングを覚えていった。

 

 

そして、なかでも田坂コーチが最も力を入れたのが守備の意識。

 

SBでもボランチでも、FWと連携してチームとしての守備をする。

相手ボールになればパスコースをどう切るのが正解なのか、自陣のどこで挟み込んでボールを奪うのか。もしボールが取れない場合、FWがボールホルダーに対してどこまでマークに来なければならないか、どこでマークを受け渡すかなど多くのルールを学ばせた。

また、ボランチはFWと違って360度の視野の確保が必要となること、SBはライン際のため守備の仕方が違うことなども分かる。また他のポジションの選手がどこでパスを貰いたいのか、貰いたくないのかなど、FW以外のポジションにコンバートされたことで多くのことを体験することができた。そして、田坂コーチもそうした起用をしたあと、岡崎にプレーに関しての質問をすることで、より理解度を上げていったのだった。

そう、狙いは全て本来のポジション(FW)でプレーしたときにどうしたら良いかだった。(まあ、他のポジションでの可能性も多少はあったと思うが、いずれにしても大きな視点でサッカーを教えた)。

 

そうしたサッカーのベース、体のベースを上げることで岡崎は一歩、また一歩と階段を登っていった。

 

そこからは数字もついてくる。2008年にはシーズン途中から先発の座を掴み、10得点を記録。同年7月には北京五輪のメンバーにも選ばれ本大会に出場すると、9月には日本代表にも選出される。また、チームでもレギュラーの座を奪い一躍クラブの顔となった。

FW争いの最後尾からスタートした岡崎が、僅か4年でトントントンと階段を駆け上がった。

 

 

□それでも貪欲な性格が成長を促す

 

取材メモもどこかにいってしまい、なんの試合だったか思い出せないが岡崎がある決定機を外した試合がある(しかも、北京五輪大会だったと思う)。左足のシュートは大きく枠を外れてしまった。

そのシーンを見たあと、練習後に岡崎本人に話を聞こうと思っていた。すると、その日の練習では既に左足のシュートをバンバン放っている姿があった。これには流石に驚いた。気になって直接聞いてみると案の定だった。

「ああいうシーンが来た時に、しっかり左足のシュートができれば」ということだった。一つの失敗を失敗で終わらせない。

ゴールを背にボールを受け、反転して左足シュート。それまでの岡崎にはあまり見られないプレーだったが、チームでの全体練習が終わると居残りでいるところを何度か見た。

 

普通、18歳を過ぎてからの技術の向上はそう簡単ではないし、一足飛びに上手くはならない。実際スポーツという世界はそういうものだという固定概念があった。

実際、リーグ戦などでも何本かは素晴らしい左足のシュートを見たが、お世辞にも上手いというには…だった。しかし、気がつけばこちらのそういうイメージも薄らいできていた。2011年には433の左FW、で起用されることが多くなったこともあり、右からのパスを受けて左足でシュートなんてシーンも多く見らえるようになった。

それに、先日ドイツでプレーする姿を動画サイトで見たが、今では普通に左足でシュートを放つし、トラップや落としのパスも左足で器用にこなすようになっていた。これには恐れいった。

 

得意のゴール前でのポジショニングは勿論だが、ドイツではその前のゲームを作る部分でのプレーにも成長の跡がみえた。

チーム事情もあるのだろうが、センターライン近くまで下がってプレーすることが増えたからなのか、単なるFWとしてのプレーだけではなくなっている。ボールを受けて出す。そして走っていった味方を追い越してゴールへと迫る。守備ともなれば相手に向かって体をぶつけボールを奪う、そして奪った瞬間にカウンター、ドリブルで仕掛けてラストパス。こんなプレーを簡単にこなしていた。

 

数年前までJ1クラブでFWとして8番目だった選手。しかし、今では欧州でも一流のサッカー大国ドイツのトップリーグで堂々としたプレーをしている。

 

 

□キャラクター、人間性も重要

最近は海外で活躍していることもあり直接顔を合わせることが無いが、以前、何かの用事で日本代表の練習を取材した。そのときも岡崎は、「あれ、どうしたんですか?」と向こうから寄ってきてくれた。勿論、代表番の記者ではないから珍しかったこともあるだろうが、そういうところにも気が付き声をかけてくる。三保のころと同じように、子犬のような人懐っこさがある。

 

また別のときの取材では、こんなエピソードがある。

南アフリカ行きを自らのゴールで決め一躍注目度の増した岡崎は、一日に2本インタビューを受けることも増えたようだった。しかも、W杯開幕の直前ということもあって連日のように取材が続いた。午前は練習、午後は取材のはしご。クラブハウスを引き上げるのは無名時代に比べ段違いに遅くなった。そんな毎日が続いていた。

 

そこで、あるインタビュー取材の前、準備中に、「何度も何度も同じこと聞かれて大変でしょ?」と聞いた。

しかし、オカちゃんは普通の顔でさらっと言った。

「いえ、自分もこうして話すことで頭の中が整理できるし、逆に考えがまとまるので助かります。だから大丈夫です」と。

 

こちらに気を使った答えだとしても、ここまでしっかりと大丈夫とは言えないだろう。

しかも、自分の役に立っているなどと

僕ならばできないと瞬間的に思った。

 

つい先日、神の手でゴールを決めてニュースになった。

しかし、結局はすぐに「反省!」という見だしでブログを更新した。

 

http://ameblo.jp/okazaki-shinji/entry-11765017792.html

 

もっと上手くなりたい。もっとゴールを決めたいという貪欲なサッカー馬鹿。

オカちゃんが努力以外の方法でゴールを決めるなんてありえないし、作為的にこうしたプレーをするとは思えない。もしかしたら、「瞬間的に手が反応しちゃった(笑)」なのかもしれない。

だから、ブログでの釈明を見なくても故意ではないとすぐに思った。だからこそ、怪我も恐れず得意のダイビングヘッドで飛び込んでいく。泥臭いけど真面目。そんな岡崎しか想像ができない。

 

 

屈託の無い純粋なサッカー小僧は、上手くなりたいと本気で思えば日本代表にもなれるし、欧州のトップリーグでも活躍できることを証明した。

だから、今の育成年代でプレーしている子供たちは諦めないでほしい。


下手でもいい。

レギュラーでなくてもいい。

セレクションに落ちてもいい。

試合に負けてもいい。

明日、次の試合、次のステージで結果を出せばいい。

努力しているやつは絶対に報われる。

 

それを岡崎慎司選手から教えてもらった。

そして、ソチで戦う五輪選手たちも同様に負けず嫌いなだけなんだ。

 

また、そういう人の周りにはサポートしてあげようという人が必ず出てくる。

もしくは、そういう人と出会うことになっている。

そんなことをソチ五輪を見ていて思ったのでこのブログに書き留めておく。