サッカーのこといろいろ書いちゃうブログ

フリーのサッカーライター(tomo2take)が、取材で感じたことや、気になったニュースなど、そのときどきで書いていきます。

サッカー全般

日本代表候補に選出された石原直樹の強さ

 

サンフレッチェ広島の公式HPでリリースがされた。

 

■日本代表候補 トレーニングキャンプ(4/7~4/9)のメンバーに、石原直樹選手が追加招集!

http://www.sanfrecce.co.jp/news/release/?n=6990&m=4&y=2014

 

小林悠(川崎F)が負傷により代表を辞退したため、追加招集が決まった。

 

湘南に入団した1年目から見てきた者としては、彼の代表選出は感慨深いものがある。そして、湘南在籍時は勿論だが、大宮在籍時も含め、怪我や起用法などで不遇の時代も知っているだけに、広島に移籍してからの活躍と、今回の評価には素直に嬉しいと言える。

 

 

さて、その石原直樹だが、彼は本当に不思議な選手だった。というのも、清水時代に取材をした岡崎慎司と少し似たようなイメージがある。共通点は、どちらも入団当時はレギュラー争いからは遠い状況で、悪く言えば下手くその代名詞みたいな選手だったからだ。

 

湘南入団の理由は、群馬県の高崎経済大付属高校という全国的には無名校に、「とにかくスピードがあって身体能力が高い選手がいる」(当時のスカウト談)ということだった。しかし、技術は?といえば、並とのことだった。実際、入団後にプレーを見たがヘタすると並の下くらいの選手だったという記憶がある。しかし、縦へのスピードと、走力があり、化ければ面白いかもと思わせる選手だった。でも、そういう選手は当時から沢山居たと思う(笑)。

 

それでも当時の湘南は早くから石原に目をつけていて、クラブとしても相当高い評価をしていた。それは、2001年、石原が高校2年生のときから古島清人さんをGKコーチとして高校に派遣していることからも分かる(他クラブからの誘いを受けないように監視させていたのかどうかは別だけど)。そうして、晴れて2年後に湘南に入団すると、1年目の後半にはスタメンにも名を連ねるようになった。しかし、当時の湘南は指揮官がコロコロと変わるような状況(サミア(2003年)、山田松市(20032004年)、望月達也(2003年)、上田栄治(200420052006年))だったことに加え、スピード系の選手にありがちな怪我などもあり、先発の座を奪い、コンスタントに活躍ができそうになると離脱したり、ベンチスタートになるなど、なかなかスタメンを確保し1年を通してチームの軸となるまでは至らなかった。

 

そんな中、最大の転機が訪れたのは菅野将晃さんが就任してのことだった。シーズン途中で上田栄治さんが辞任し、後任となった菅野監督はいきなり初陣(アウェイの鳥栖戦)で石原を先発起用すると、その後もずっと先発で起用し続けた。菅野さんと言えば、「ハードワーク」。チーム一丸となり、全体でハイプレスを仕掛けてゲームの主導権を握る。そういうサッカーを目指した。その中で、圧倒的なスピードと驚異的なスタミナに加えて、前線からのアグレッシブな守備をいとわない献身的な姿勢は指揮官の標榜するスタイルへ完全にマッチしたのだ。しかし、考えてみれば広島に居る今も、湘南在籍時の昔もプレースタイルは全く変わっていないということかもしれない。

 

そうして、コンスタントに出場機会を得ると守備だけでなく攻撃でも結果を出すようになる。2006年には(6月から先発機会を得たにも関わらず)9ゴールをあげ、2007年には自身初となる2桁(12)ゴールを記録。更に2008年には18ゴールを決めると、完全に湘南のエースとして君臨した。しかし、チーム事情もあり、石原はそのオフにクラブへ莫大な移籍金を残し大宮へと移籍したのだった。多くの湘南サポーターが涙したが、納得せざるを得ない状況だったことから、今でも石原には感謝の気持ちしか無いというサポーターは多い。当然J1での活躍も期待されたが、大宮では主にスーパーサブとしての起用がメインだった。そこで石原は活躍の場を求め2012年に広島へと移籍すると、そこで2度めのブレイクが待っていた。

 

「感覚が似ているし、凄くやりやすい」(石原談)という佐藤寿人との出会いが石原を進化させたのだ。広島独特のシステムも、最初は覚えることが多くて戸惑ったというが、持ち前の吸収力の早さを見せ、現在の活躍へと繋がる。そして、そのプレーの質が評価され日本代表の切符を手に入れたのだった。

 

少し遅咲きのシンデレラストリーだが、努力は必ず報われるという見本でもある。

 

 

 

さて、前置きが長くなったが、このブログで書きたかったのはこのあと。

 

 

 

そんな石原直樹を取材してきたなかで、今でも覚えているエピソードが2つある。

 

2つとも湘南ベルマーレ時代のことだが、その1つめは、ある日の非公開練習後に取材をしていたとき吹き出しそうになった話。それまでの流れはちょっと忘れてしまったが、今の活躍について聞いている時に石原が突然こう言った。

 

「俺、ベルマーレには凄く感謝しているんです。だって、サッカーのサの字も知らない俺をこうして育ててくれたんです。プロに入るまでクロスのあげ方も知らなかったから…」

 

クロスのあげ方も知らないってどういうことかと思って続けて質問をすると、石原はプロに入るまで、クロスというのはサイドの深い位置でボールを受けたとき、ドリブルで上がったときに、それがペナルティエリアまで来ていたら自動的に上げないといけないと思っていたというのだ。湘南入団後の練習で同様にクロスを上げていたら、コーチや味方の選手から「なんで中に人が居ないのに上げるんだ!」と怒られたそうだ。そこで初めて、石原は中に人が居なければクロスを上げては駄目だというのを知ったという。人が居なければ、ボールキープをして味方の上がりを待つことや、自ら中に仕掛けるとか、SBが上がってくるのを待つ。人が居ない状況でゴールの可能性がないクロスを上げても、ルーズボールを相手に奪われるだけでチームのリスクになる。そういう、最近の高校生でも知っているような基本をプロになってから教わったというのだ。もちろん、高校ではFWだったので、サイドハーフとしてプレーをしたことが殆どなかったというのこともあったかもしれない。

 

 

 

また、別の場所では石原の決意というか、急成長の理由、強さを改めて知ったシーンがある。もうチームの顔として、エースストライカーとして活躍をしていた石原を少し茶化しながら(笑)話をしていたときに、ふっと思い出したように漏らした言葉が印象的だった。

 

「俺、負けたくないんですよね。怪我もなく順風満帆で来た奴には負けたくないんです。だから、もう二度とああいう怪我はしたくないし、そう思った。それに怪我をしたやつは絶対に強いんですよ。活躍している人でもそういうのが多いでしょ」

 

少し語気を強めて言う石原を初めて見た瞬間だったかもしれない。それくらい強い言葉だった。

 

ああいう怪我とは、2005年の骨折のことだ。

http://www.jsgoal.jp/official/shonan/00025593.html

 

3年目、勝負の年。シーズン終盤にようやく先発の座を掴みかけた。しかし、その矢先のことだった。腓骨骨折という診断で、全治3ヶ月。悔しかったに違いない。掴みかけたレギュラーの座が遠のく。目の前が真っ暗になったかもしれない。

 

この言葉を聞いたからなのか、それからの石原からは、もっと成長したい、もっと上手くなりたい、絶対に負けたくないという気持ちを強く感じるようになった。身長も大きくないし、見た目も飄々としており、どこからみても普通のお兄ちゃん。ヘタすれば優男にしかみえないが、内に秘めた気持ちは熱気を帯びた強いハートを持っている。普段は休火山のように平静を装っているが、中ではグラグラと煮えたぎるマグマが渦巻いていたのだった。それはもしかしたら、劣等感から来るのかもしれない。高校は全国的に無名、年代別の代表どころか、国体選抜にも選ばれたことはない。しかし、もっとサッカーを深く学ぶ環境があれば、自分はまだまだ成長できるという自信があったのだろう。だからこそ、怪我には過敏になったし、才能に恵まれた選手を見ると、こいつには負けたくないという気持ちが強くなった。まして、名門校を出て、Jリーグでプレーするのが当たり前という選手を見ると、余計にそういう気持ちになったのかもしれない。

 

 

そうやって、長い年月をかけ成長してきたのが石原直樹という男だ。

 

 

湘南時代には、ある試合で後方から来たボールを受けた瞬間に反転し、相手DFの間を強引に仕掛け決勝点を奪ったことがある。いつもとは違ったプレースタイルだった。そのため、試合後にそのことについて質問をすると、「そうでしょ。あそこで消極的なプレーをしたら駄目だって思ったし、相手が嫌がるプレーをしようと思ったんです」とニコニコしながら答えてくれた。実を言えば、その消極的だという試合の後、いくつかのメディアでエースとしての責任を問う記事があったのだった(というか、自他共にエースとして認められてきたことで石原に対する評価は厳しくなっていた)。そして、本人もエースとしての自覚が芽生えていたため、そうした記事を見たのか、もしくは声を聞いてショックを受けていたのではないかと僕は思った。が、そのときは敢えて口にしなかった。でも、人一倍責任感を感じている彼のことだ、きっと悔しくて何度も何度も練習をして身につけたのだと思う。それが試合で実を結んだ。だから終始笑顔だったのだろう。

 

 

残念ながら広島に移籍してからは、なかなか取材に行く機会、合う機会が減ったが、いつも彼のプレーは気にしているつもりだ。そして30歳を目前に控えた年、ブラジルW杯を迎える重要な年に、滑り込みで日本代表の候補に選ばれたのだ。ここで書いたことは、今でこそ笑い話かもしれない。しかし、それぐらいサッカーの基本を知らない状態から、Jリーグの門をたたき、プロとなり、移籍をし、J1の強豪広島で2年連続でタイトルを獲得。そして、遂に日本代表候補にまで上り詰めた。上を見ればまだまだ先はあるが、こんなに嬉しいことはない。しかも、ブラジルW杯のある節目の年にだ。


クラブハウスから沢山の荷物を運び出し、車の後部座席に運び込む石原を呼び止め、「代表入り楽しみにしている」と伝えたのが、2008年のことだった。あれから8年経ったけど、あの日約束したことがもう少しで現実になるなんて本当に嬉しく思う。

でも、ここまできたのだから満足してほしくない。どうせなら本大会に出場し、ゴールを記録して歴史に名を残すこと。それができる可能性、チャンスに今回は恵まれたのだから、今こそ雑草の意地を見せて欲しい。


(C) 2014 tomo2take

改めて浦和の処分を検討する

終わったことをグダグダと蒸し返すようで恐縮ですけど…敢えて書きます。


 

差別的な横断幕により、最終的にJFAから下されたのは「無観客試合」だった。

 

http://www.j-league.or.jp/release/000/00005691.html

 


その後、ゴール裏のサポーター11団体が解散を申し出た。


http://www.urawa-reds.co.jp/clubinfo/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%9A%86%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%B8/

 

 

さて、先日の無観客試合を終え、清水のホームゲームを1試合取材し、改めてこの処分に疑問を持った。いや、持ってしまったというのが正しいかもしれない。というのも、何故そもそも無観客試合だったのだろうか。何故、勝ち点剥奪では駄目だったのかという疑問が時間を経るに従い強くなっている。

 

無観客試合は浦和に対してのペナルティとしては十分に重い決定であることは間違いない。実際、1試合分の収益に換算して数億円規模での損害となったので、クラブに対しても重い制裁が与えられたと思う。そして、リンクにあるようにサポーターも自ら重い処分を下した。無観客試合の後、こうした報道がされたことを考えても、今回の件は大変重い、歴史的な処分だったのは間違いない。しかし、では当該チーム以外には何も影響や被害を出さなかったのか?といえば答えはノーだった。実際、清水はクラブとして明らかに大きな被害を受けた。アイスタで開催されたパブリックビューイングに関してはこのブログでも書いたが、金額的な損失は勿論、その他にも試合を楽しみにしていたサポーターにも損害を与えたし、実際に試合に出た選手たちにもある意味での被害はあったと思っている。

 

そして、更にもう少し範囲を広げて考えてみる。

 

埼玉スタジアムには普段からお店を出している方々もいる、そして映像スタッフや場内アナウンスなど運営に関わる人達(もしかしたらクラブから金銭的な保証はされているかもしれないし、もしものためにスタンバイしていた人たちも居たので厳密には損得を言うのは難しいけれども)も当然居た。

 

もっと先を見る。売店で売っているお弁当類の仕入れ先、鉄道会社やタクシー会社、駅前のビルに入っているコンビニ。ちょっと考えただけでかなり出てきた。また試合後に関しても、勝利の美酒、敗戦のやけ酒など飲んで帰る人も多いことが考えられるので周辺の飲食店でお金が動かなかった可能性もある。子供さんがいれば近くのイオンモール浦和美園店で帰りになにか買い物しに行こうと思っていた親子もいたかもしれない(ちょっと無理やりのこじつけかな)。でも、そう考えると売上に影響が出ている場所はもっと多いかもしれない。実際、当事者の方々は分かっていると思うが、試合がある日に比べ売上が減ったというところは間違いなく多いだろう。そうなると、それぞれが数万円から数十万円、数百万円規模で影響が出ているはずだ(逆に無観客試合によって、試合を見るために集まった居酒屋とか、スポーツバーなど、いつも以上の利益を得たという場所や施設が全く無いわけではないと思うが…)。これをもって、日本サッカー協会が下した決定は本当に妥当であり正しかったのだろうかと考えると、やっぱり疑問が残る。当該チームがペナルティを受けるのは当然だ。がしかし納得するのは…という感じだ。

 

 

そして、忘れては行けないことがある。今回の決定により、日本サッカー界は歴史に1つの前例を作ったことになる。裁判などでも過去の判決が前例となり裁定が下されることになるが、今後、何がしかの場所、スタジアムなどで人種差別的な発言や提示がされた場合、それに対する処分は無観客試合が妥当とされる可能性は極めて高いだろう。しかし、その場合には前述したように当該者クラブ(もしくはサポーター)以外に対する影響があまりにも大きいように感じた。これが浦和ではなく、別のチームであった場合、カテゴリーが違った場合など、その影響は千差万別で、反応もいろいろだとは思うが、場合によってはもっと深刻な影響が出る可能性がある。

 

そして、もしこれが2ステージ制を導入された2015シーズン以降だった場合を考えると、二度と勝ち点剥奪という処分は下せなくなりそうだということが分かる。何故ならば、前後2ステージ制での勝ち点剥奪(例えば1試合分相当の3から、3試合分の9程度でも)は、タイトル争い(順位)への影響が大きすぎるためだ。そうなると、今後は前例と同様に無観客試合の判断が妥当ということになるだろう。

 

しかし、では通年制のJ2J3で同様の事件が起きた場合も同じ無観客試合という処分で落ち着くのだろか。いや、悪質さの度合いによっては勝ち点剥奪という処分が検討されないのだろうか。そもそも、もう二度とこういう処分が下されるような事件は起きてほしくないのだが、もしものことを考えると、協会は随分と甘い決断をしたように感じてしまう。

 

そして、無観客試合というペナルティは当該者以外への影響が大きい。そう考えると、なんとも納得しにくい処分だったのではないかという思いがもたげてきた。というか、そもそも関係のない人たちにまで被害が及ぶのは考えものだ。こうして今更蒸し返すのもなんだが、どうにも納得できにくい処分だったのではないかという思いが、スタジアムから帰路につくサポーターを見ていて出てきてしまった。罪のない人たちへのことを考え、最も影響の少ない処分や方法を考えて欲しい。

 

最後に、唯一の収穫は実際にプレーした選手たちが、サポーターの応援がどれだけ自分たちの力になるか、コールや声援が自分たちにとってどれだけ大切だったのかという再確認にはなったと思う。しかし、それは経験しなくても良いはずのことであり、普段の試合でも十分に理解できていることだと思うが、今回の悲しい事件の中で唯一の光明、救いであることには違いないと思う。


(C) 2014 tomo2take

無観客試合の取材を終えて 振り返り、雑感など

Jリーグが開幕して22年という歴史の中で行われた初の無観客試合を取材してきた。しかも、浦和レッズの担当ではなく、アウェイチームの担当としてだ。勿論、歴史的な試合ということもあってメディア世界に居る端くれとして、また、少しのジャーナリズムを持つものとして、多少の興味もあったのは間違いない。しかし、断じて興味本位ではないということは言っておきたい。

 

この試合には多くの取材陣が詰めかけていた。普段サッカーの現場ではみないような、全国ネットのアナウンサーなども見かけたので、この場所がこの日に限り、どれだけ注目されているかを感じた。しかし、どこもかしこもスポーツ取材というよりは、ニュース、報道の色が濃かったように思う。

 

ちなみに普段、埼玉スタジアムに取材に行くときは最低でも試合開始2時間前に到着するようにしている。埼スタは駅から歩いて行ける距離であり、Jリーグが開催されるスタジアムの中でも割りと近いほうだ。しかも、駅からスタジアムまではメディアバスも運行されている。しかし、普段は駅前の道が渋滞しているため早めに行動していないと時間が読めない。そのため、状況によってはバスを諦め歩いて行くことも多かったため、早め早めの行動が必要となる。

 

しかし、今回に限りその必要は無かった。

 

その傾向は行きの電車からあった。普段ならば赤と黒のマフラーや上着を着た人、長い棒に巻き付いた旗や、弾幕に加え着替えなどの大荷物を抱えた人たちが終点に近づけば近づくほど増えていき、電車の中はザワザワとしてくる。時には、携帯サイトを見たり、エルゴラを手にしたサポーター同士が、あーでもない、こーうでもないという話をしている姿が普通だった。しかし、この日は新橋で電車を乗り換え、その後、溜池山王で南北線に乗車したが埼玉高速鉄道に接続し浦和美園駅に向かうものの、終点に近づくほど車内はガラガラになっていった。途中、浦和サポーターらしき(エンブレム入りの上着を着ていた)年配の二人組に遭遇したが、手前の東川口で降車していった。行き先は分からないが、もしかしたらスカパー!が見られるスポーツバーにでも行って、ビール片手に試合開始を待つのではないかと想像した。

 

駅に到着するが、降りてくる人は少なかった。しかも、メディア関係の人ばかりだと予想していた通りで、同じ電車を利用していた知り合いに2人も合った。そして、改札を出ると既に数名のスタッフが立っていた。「本日は公園内への立入が禁止です」と、プラカードを持って大きな声でアナウンスをしている。しかし、おそらくこの駅には両チームのサポーターは1人も居ないはずだ。そう思うと虚しいアナウンスだが、便宜的には必要なことだった。

 

そして、階段を降りてロータリーに向かう。するとガランとした駅前が広がっていた。試合開催日なのに人が居ない。駅前には乗用車が2台ほど停まっていたが、それは地元の人が家族か友人なのか、だれかを送迎するために使っていただけのようで、これも普段ならば見ることはできない光景ではないかと思った。

 

そして、メディアバスに乗り込む。10分程度待ったが、発進すると僅か数分でスタジアムに到着した。これも普段の試合がある日では考えられないほどスムーズだった。あれもこれも想像以上に早くスタジアムへ向かうことができたことが拍子抜けというか、肩透かしを食らったような感覚に襲われた。そして、取材という本来の意味を忘れそうになり、ふと自分はここへ一体何をしに来たのか?という疑問にさえ変わっていった。

 

殺風景な景観と同様に、この日限定の違和感があるとすれば、要所、要所で等間隔に立つ警備、スタッフの数と、その様子を収めるメディアの数だろう。大きなTVカメラを担ぐ人、三脚を立て写真を取る人など、そういう雰囲気はなかなかお目にかかれないものだった。実際、僕らがメディアバスから降りて受付に向かうところもTVカメラでバッチリと撮られていた。今日はこういう映像が必要とされる日。そういうことを改めて感じさせた。

 

 

所属と氏名を述べ、申請したFAXを提示し、受付でIDを貰いスタジアムに入る。いつもなら記者室に直行するのだが、知人の記者に「今日はお弁当とお茶が無料で配れているから」と言われたので、その窓口に行きありがたく頂戴した。これは初のことだった。その理由は単純だ。無観客試合のため、スタジアム内の全ての売店が開いていない。そのため、メディア関係者も買い物ができないので軽食が振る舞われたのだった。僅かな心遣いではあるが、こういうホスピタリティは素晴らしいと思った。しかし、こんなときに、こういうところにまでの気遣いができるのならば、何故ここまで酷い事態になる前に対応ができなかったのか?と疑問が生じた。と今更言っても遅いが。ただ、ちょっとしたことだけど、相手への配慮、気がつくことができればと思った。最大限できることをしていれば、ことが起きてしまったとしてもニュースソースを受ける側の印象の差は違ってくるだけに残念に思う。

 

記者室に着くと、そこは多くのメディアで溢れていた。そして、空いた席が殆ど無い。TVクルーも多く、聞くところによれば系列で2社までという制限が出ていたという。アウェイの試合といえども夕方の番組までに静岡のキー局でも映像が当然必要となる。だが、規制をしないといけないくらい多くの申請があったということだろう。

 

そして、いろいろな人と話をして情報交換を終えてからピッチに出てみた。無味乾燥とはこのことかと思うほど、決定的に何かが足りない。スタジアムのスタンドや屋根には、コーチや選手たちの声とボールを蹴る音だけだが響く。駅を降りた時に感じた違和感が更に増していった。それでも、感じ取れる情報は全て体験しておこうと思い、両チームの放つ独特な雰囲気を感じつつ、周囲の状況、メディアの状況にも目を配った。

 

 

試合開始15分前。スタンドにある記者席へ移動し席につく。人は多いが静かだ。すると、運営スタッフらしき人から、「(TVの)中継に支障をきたす可能性があるため、携帯はマナーモードでお願いします」という通達がされた。なるほど、この静寂の中では携帯電話の発する独特な電子音が耳障りになると思いながら、足元に置いた鞄からノートやスタメン表などを取り出し取材の準備を始めた。すると、上空にはバリバリと音をたてたヘリコプターが飛んできて、その音がやけに大きく聞こえる。上空からの様子も今日のニュースで使われるのだなと思いながら見上げた。すると、なんの前触れもなく選手たちがピッチに入ってくる。挨拶を終え、写真を取るために整列したときの「5,4,3,2,1」という声がやけに大きく聞こえた。スタンドからシャッターを切る音も大きい。シーンとした中で、必要なものだけが音を発していた。バーっと両チームの選手がピッチに広がり、それぞれが体を動かす。いよいよ試合開始だ。

 

主審の笛がピーっと鳴る。

 

清水ボールで試合が始まる。選手たちの声が通る。FKの壁を作るときや、マークの確認の声は特に大きく聞こえてくる。逆に試合中の声は数名が同時に発しているため、誰がどのように話をしているかの判断は難しい。けれども、何人もの選手が同時に意思伝達をしていることがよく分かった。それはある意味では収穫だった。特に中でもGKは声が大きいというのも発見だった。試合後、櫛引は「俺の声聞こえました?」と言っていたが、普段からコーチングに気をつけている選手にとってはやりやすかったのかもしれない。

 

試合の内容は割愛するが、前半に清水が先制し、後半に入ってから浦和が追いつき1-1で試合を終えた。試合後の取材をしていて感じたのは、どの選手も口々にモチベーションを上げるのが難しかったというようなことを話していたこと。全くその通りだと思った。言い換えると闘争心のスイッチを入れるのが難しかったということかもしれないが、ある清水の選手はこうも言っていた。「同点にされたあと、いつもの埼スタ(数万人の居るスタンド)ならサポーターの声とか雰囲気でもっと向こうの攻撃が強まったかもしれない。そういう意味ではお客さんが居ないことがこっちには有利になったのかもしれない」と。それだけサポーターの力というのは大きいのだ。声で選手の背中を押すということは、相手の戦意を削り取るという意味にもなり、この日はそうしたアドバンテージ(もしくはビハインド)が無かった。これは浦和にとって無観客試合がもたらした負の要素には違いないだろう。

 

実際、試合中にノートへメモを取りながら思ったのは、押せ押せムードになった浦和の攻撃に対してあまり怖さを感じなかった。前半はミスの大さもあっただろう。しかし、当然のことながら「わー!」とか「きゃー!!」といった声がない。反応のないゲーム。この練習試合のような雰囲気がそうさせているように思った。だから、ノートにちょっとメモをしているとあっという間に大事なプレーを見逃すこともあった。


しかも、どちらのチームの声もよく通り、一方に分があるという雰囲気にならない。攻める方の声も通るし、守る側の声も通る。そのため、どちらが優位かというよりも、どちらも声を出し聞こえているので、それなりに意思疎通ができているように見えた。そういった状況なので、守る方もそれなりに対応ができるので、バックラインから指示を出す声に焦りを含んだ印象もなく、声が届かずミスが生じるというようなシーンも少なかったのかもしれない(勿論、戦略的に崩されて決定機を作られるシーンはあったが)。そうなると、攻守で淡々とした作業をしているような雰囲気になる。そして、それはスタンドに伝播することもなく、どこにも影響を与えず、大きな盛り上がりに欠けたまま90分間が終了した。

 

試合終了後もサバサバとしていた。判定に対するブーイングは当然なく、プレー内容、結果に対するスタンドからの反応もない。そして、スタンドに向かって選手たちが挨拶をすることもなく、足早にロッカーへと引き上げていくだけだった。無観客試合が終わった。それだけが事実として残った。

 

試合とは裏腹に、むしろ試合後の記者会見は熱を帯びていた。両監督の会見はともに長かったし、メディアの質問内容にも熱があったためなのか、監督コメントが長かった。そして、ミックスゾーンを通り帰る選手たちも同様だった。何度もメディアに名前を呼ばれ、多くの人に囲まれた。そのたびに足を止め答えていく。特に得点を決めた原口、長沢はコメントを何度も求められた。TVの代表インタビューもあるし、新聞記者の囲みもある。現場は人が入り乱れてバタバタとした雰囲気だった。

それでもまあ、清水の選手にしれみればアウェイで勝ち点1を持って帰れるという意味では収穫だったかもしれない。が、得点を決めた長沢が、「いつものような大勢のサポーターの前で(リーグ戦初ゴールを)決めたかった」というのは何とも妙に納得できたコメントだった。

 

ひと通り取材を終え、記者室に戻り、身支度をして、知り合いに挨拶を終えると、そのままスタジアムを後にした。駅に戻るときのメディアバスの動きもスムーズだ。勿論帰りも渋滞など無い。駅の混乱もない。ただ、満足感のようなものはなく、こちらの心はゴチャゴチャとしている。そして、そのままの気持ちで、オファーを頂いていたラジオの番組に電話出演をした。上手く喋ることは苦手だが、今回の試合の意味や雰囲気を少しでも伝えられたらと思って話をした。電話を切り、暗くなった駅の街灯の下に立ちふと空を見上げると、少しだけ何かの役に立てた満足感を得ることができた。この日混乱をしていた心を整理できた瞬間、唯一の救いのときだったかもしれない。エスカレーターに乗って切符を握り改札へ向かった。

 

少しやわらかい電車のベンチに腰を下ろし一息ついた。

 

今回下された無観客試合という制裁が妥当だったのかどうか。選手たちにとってはどんな意味があったのか。また、クラブにとって、日本サッカー界にとって、Jリーグにとってどんな影響を残すのか。そして、サッカーを愛する人達にとってどんな感情を持たせたのだろうか。一度晴れたつもりの頭のなかの霧が再び広がったまま電車は発車した。


(C) 2014 tomo2take

遠藤航を右サイドバックへ

先日の札幌戦を見ていて感じたのが、遠藤航の攻撃力の高さだった。かつては反町監督のもとで、また現在はチョウ・キジェ監督のもとで3バック(現在は主に右CB)のレギュラーとして活躍している。ユース在籍時にはヒョロっとした印象を受けたが、当時のコーチも驚くほど急激に身長が伸び筋力も追い付いてきた。そうしたこともあり、即座にトップチームへ合流。もともと持っていた足元の技術を武器に、ビルドアップや攻撃参加のできるCBとして重宝されてきた。

 

しかし、身長は178cmと代表クラスのCBと比べるとやや迫力に欠ける。勿論、身長だけでCBを語れる訳ではないが、湘南が過去J1に昇格したときに苦戦しているのは、このあたりにも理由があるように思う(実際、これまでも大野、丸山という180cm以上の選手をレンタルしてきていることからも、高さに関してはチームとしても足りないと自覚している)。

 

そこで、以前から個人的だが遠藤はボランチにコンバートしてはどうかと思っていた。成功例としては、やはり元湘南でCBとしてプレーしていた村松大輔がいる。彼は清水に移籍したことをきっかけに、本来のポジションから一列上げ、ボランチへとコンバートした(実は移籍当初はクラブから右SBとして考えていると伝えられていた)。やはり、村松も176cmCBとしては上背に恵まれなかった。しかし、裏を取られても後から追いかけ、その抜いた相手にすら追いついてしまう圧倒的なスピードと、外国人FWなどとガチンコで競ってもブレない体幹の強さがあった。そのため、CBではなく1つ前のボランチで潰し役としてプレーをしたら、持ち前の特長が見事にハマった。そして、いまではチームに欠かせぬ存在となっている。

 

遠藤も同様に、ボール奪取能力に長ける。しかも村松にはない技術がある。シュート力もそうだし、クロスの質も高いし、ゲームを組み立てることもできる。そうなればボランチへのコンバートは当然視野に入るし、次のステップへの良いチャレンジではないかと思っていた。しかし、ここにきて考えを改めた。

 

そう。札幌戦を見ていて、これはSBへコンバートしたほうがいいと思った。クラブ単位で考えれば、CBとしても十分欠かせぬ戦力であるのは間違いない。しかし、もっと上のベレルで考えると真剣にコンバートを視野に入れたほうがいいのではないかと思う(岐阜戦では難波の動きを気にしていたのか、それほど攻め上がることがなかったが)。

 

日本代表では長友、内田という絶対的なSBが居るが、その後に続く人材に欠ける。酒井高徳や酒井宏樹といったサブメンバーもいるが、トップ下やボランチという花型ポジションに比べたら競争は激しくないし、そこに続く人材は五輪世代、若年層を見てもそう多くない。

 

そこで、遠藤の右サイドバックへのコンバートだ。

 

何よりも、元CBということから守備面での貢献度は言うまでもない。そして、湘南スタイルで磨かれた運動量。もともとCBのポジションでプレーしていても、チャンスとみればゴール前に上がっていくプレースタイルを続けてきている。流れを読む目、頭脳はある。アップダウンできるスタミナも十分。そして、なによりも技術がありボールを奪われることが少ないのが大きい。サイドの高い位置で起点となり、そこからパスやクロスでゲームを作る。ある意味でのゲームメイカー的な役割をすることができる。運動量を武器にアップダウンでゲームを支えるタイプではなく、的確なポジションをとり攻守でチームを高い位置で動かす。そういったことが可能な選手ではないだろうか。そして、上背は無いがヘディングも強いので、時には逆サイドからのクロスに詰めてシュート。なんてことも可能ではないかと思う。

 

また、もう1つコンバートを進める理由がある。近年、湘南は3421というシステムを使う。この3バックは昔と比べたら随分と役割が変化しており、CBの要素だけでなく、SBやウイングの要素も求められる。そういう意味では近代的なDFのスタイルではある。しかし、世界に目を向けると4バックのチームが圧倒的に多く、欧州のレベル、代表レベルは勿論だが、長い年月で見ても4バックをスタンダードにしているところが多い。その意味では、右SBとしての経験値を早い段階で積んでおくことが大事ではないかと考える。

 

個人的にだが(笑)、清水へ移籍して右SBのポジションでプレーするのはどうだろう。現在、清水はSBの人材に苦慮しているため、攻守で信頼のできる遠藤は適任者ではないかと思っている(そうすれば、吉田を左SBに移動させることもできるので、より安定したゲーム運びができると思う)。

 

さて、まあ妄想的な原稿になったけども遠藤の右SBコンバートの考察として残しておく。


(C) 2014 tomo2take

今回、清水が決断した無料のパブリックビューイング開催の意味

2014318日、清水が浦和戦のパブリックビューイング開催のリリースを出した。

 

http://www.s-pulse.co.jp/news/detail/24718


3/23()浦和戦 パブリックビューイングinアイスタ』開催のお知らせ

~みんなで清水エスパルスを応援しよう!~

 

取材して分かったのだが、これは浦和の無観客試合が決定したことを受け即座にクラブが動き出したとのことだった。そして決定まで本当に素早い動きだった。

 

そして、パブリックビューイング開催にあたり、ホームのIAIスタジアムを抑え、映像スタッフや警備などの手配、準備も含め、そこへの交渉を含めたもろもろの動き、そして承諾してくれた方々の理解と熱意は素晴らしいと言えるだろう。まさにサッカー王国と呼ぶにふさわしい対応ではないかと思う。

 

聞くところによれば、竹内社長の強い希望でという話も耳にした。そのためなのかは分からないが、相当素早い決定だった。Jリーグのクラブとしてではなく、サービス業として、地域に根ざす企業として、会社が決断した。その対応の速さには頭が下がる。

 

今回Jリーグ初となる無観客試合。これは、ペナルティを受けたホームクラブにとっては収入面やイメージの低下など大きな損失が生じるのは当然だ。が、一方で対戦相手にもいろいろな意味で大きな損失を与えていることを忘れてはならない。

 

清水のサポーターとしては、「なんでこの試合で!」という気持ちもあるだろう。新幹線のチケットを手配し楽しみにしていた人も居るだろうし、3連休ということもあり混雑を避け自前で早朝から車を出して清水から乗合いで行く、なんて予定を立てていた人たちもいるかもしれない。しかし、そうした準備が全て台無しになった。だが、そうしたマイナスの気持ちを少しでもプラスに和らげることができるのは、応援する清水エスパルスでしかないのも事実。そして、そのことをしっかり理解したうえでの対応だった。こうした問題に「正解」は無いだろう。しかし、少なくともエスパルスを応援する人たちの気持ちを少しでも満たすことができれば、まずは及第点になると思う。そして、このパブリックビューイングを機会に新たにサポーター同士での交流などが生まれれば、それは思わぬ副産物になると思う。そういうポジティブな出来事を期待して今回の企画を応援したい。

 

 

ただ、忘れてはいけないこともある。この一件はいろいろなところでしわ寄せが来ている。今回はパブリックビューイング開催により、試合の様子を全く見られないという状況は回避した(スカパー!などに入って見るという方法もあるが、加入してない人も居るだろうし、この1試合だけのために加入するのは嫌だと思う人も居なくはない)。しかし、そもそも本来ならばやらなくても良かったことである。そして、そのための労力とかかる金額は0ではないことを知っておきたい。

 

何故ならば、入場は無料。そのため、クラブには一円も入らいない。しかし、スタジアムの使用料、映像スタッフや警備のアルバイトなどへの支払いは当然ながら生じる。また、スタジアム周辺や自治体、警察への申請、通知、配慮、説明なども含めてクラブスタッフがやらなければならない。これが通常のアウェイ開催試合であれば、やらなくていい仕事が今回は生じていることになる。当然、当日はスタジアムにクラブスタッフが配置される訳で、その場合は休日出勤となる(代休貰えるとは思いますが、もしかしたら本来は連休中に家族サービスをする予定だった人もいるかもしれない?)。また、そうしたことを考えると単純に計算しても数百万単位での持ち出しだと想像できる。それでも清水はパブリックビューイングの開催を決めた。

 

損して得取れではないが、ビジネスシーンではお客様の満足度、笑顔をどうしたら見られるか。そういう視点からサービスを考えるという鉄則がある。それが一流のサービスであり、長く愛して頂けるコツだとも言われている。そういった意味からすると、今回の清水が出した答え、パブリックビューイング開催という方法は賞賛に値するといっていい。降って湧いたマイナス要素をプラスにする。そのための努力を惜しまない。清水が今回下したクラブとしての姿勢は、サポーターとのいい関係をこれから先数年まで見据えて考えて出したのだろう。短期的に見れば収益はマイナスかもしれないが、後々にまで通じるサービス精神であると思う。

 

ちなみに、浦和はアイスタでの費用を持つと申し出たが清水に断られたというニュースがスポニチさんの記事として出ている。意地というか、清水のプライドを感じた。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/03/21/kiji/K20140321007813980.html


(C) 2014 tomo2take

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